interview

インタビュー

『世界最速のインディアン』の主人公、バーと・マンローと同じように、ラスベガスの自宅ガレージで自らマシンの製作も手掛けるHIRO.KOISO。
多くのワールドレコードを持ち、“世界最速の日本人”ともいわれるHIROのボンネビルへの想い、アメリカでの日常、Hiro Koiso Racingの展望に迫る。

バイクとの出会い、
ボンネビルとの出会い

バイクは二十歳で中型免許を取得後国産車に乗っていましたが、横浜界隈は当時としてもハーレーを見かけることも多く、バイクや乗っている人たちの魅力にとらわれ、間もなく限定解除して今も乗っているスプリンガーソフテイルをゲットしました。
ボンネビルはお客さんがレースをしていたり、バイク業界全盛期だった2006年ころ、BUB7, AckAttack,Ez Hookストリームライナーが三つ巴で大激戦だったり、同じ頃『世界最速のインディアン』がリリースされたりとボンネビルが身近に感じられるようになり出したころだったんですね。ちょうどその頃、参戦予定でバイクを作っていたAHDRAが衰退してラスベガスラウンドが無くなってしまったりとレースの舞台を切り替えることを余儀なくされていたのも事実です。ボンネビルでのレースのレギュレーションや記録を調査中に、FIMの世界記録にハーレーで参戦して記録を残した人がいなかったことを発見してこれはやるしかないかと。  

ボンネビルを走ろうと思った理由、
ハーレーで挑戦し続ける理由

ハーレーで挑戦するのは、ひとことで言うと自分が好きなバイクだからです。
元々高性能で速いバイクで良い記録を出すより、遅いバイクを色々いじって速くするほうが達成感があるじゃないですか。
また、ハーレーはレースの歴史も長くて様々な逸話もありますよね。自分もその歴史の一部になるかもと思うとわくわくしますよね。

200mph、400kmh…
区切りのスピードを超えた先の世界

ボンネビルで200マイルを超えた人数はエベレスト登頂した人数よりも圧倒的に少ないと聞いたことがあります。正直なところ、初参戦した時にはこのバイク(DYNA)で200マイルなんて、到底ありえないだろうなと思っていました。

その後毎年改良を重ねていき、車体のセットアップやチューニングの技術が向上するにつれ、ターゲットの速度を上方修正していった積み重ねでランドスピードレーシングの金字塔である200マイルを達成したので、自分のやって来たことや理論が正しかったんだと実感しました。
そこから先はまさに前人未到の領域で異次元のスピードに突入した感じです。2016年に240マイルオーバーでの走行中にはフェアリングの中でさえ、手が風圧で吹き飛ばされそうになったり、遠心力でタイヤのトレッドが飛び散ったりと今後の課題も表面化してきました。

BMST2017に向けた
ニューマシンについて

とりあえずアイデアは固まっていて、現在スポンサー募集やベンダーとの打ち合わせや、パーツや材料もオーダーを始めたところです。
エンジン出力は更なるパワーアップを予定していて400馬力を見込んでいます。参戦クラスなどは車両製作の進行状況で変わるかもしれませんが、フェアリングなしのクラスで215マイル、フェアリング着きクラスで250マイルオーバーを目指しています。
また、ランドスピードでの最終的な目標は“ハーレー最速”で君臨することですかね。将来的には今のクラスより小さい排気量や自然吸気のクラスにも参戦したいですね。メカニックとしてだけでなく毎年何か新しいスキルを習得することにしています。FRPや金属成形などもその一環で、今年はCADによる設計を学んでいます。

意欲に火をつけた「Hiro's Fire Fund」

やはり2012年に走行中に火災発生でリタイヤしたときのエピソードでしょうか。車両は真っ黒に焼けてしまいましたが、とりあえず記録は出たので車検官に排気量だけ計測してもらって家路に着こうというところでした。そこでイベントスタッフとレース仲間のジョーディー・パラウィッツに呼び出されて行ったところ「これ、みんなからです」と募金箱を渡され感動してしまいました。どうやらジョーディーが事故のあとでホテルから持ってきたアイスペールを片手にピットを回って募金を募ってくれていたようでした。募金箱にはピンクのガムテープにマジックで「Hiro's Fire Fund(ヒロの火事基金)」と書いてありました。これがきっかけで、翌年ボンネビルに戻ってくる意欲に火がついたのは言うまでもありません。

宙を舞うクラッシュ、
火だるま直前のアクシデント

2010年のクラッシュは人生初の骨折と救急車でした。加速中で100マイルは軽く超えていたのですが、突然柔らかい路面でグリップを失ったところから車体がウォブルに陥り、直線を走っているのにも関わらず、そのままハイサイドで大転倒しました。自分のせいでレースが中断されるのは申し訳ないと立ち上がって散らばったバイクの部品を拾い始めたところ鎖骨骨折で右腕が上がらないのに気付きました。
2012年、走行中の火災アクシデントも忘れられない出来事です。計測区間に200マイルオーバーで突入後に突然走りがおかしくなったと感じた直後、右腕の下からオレンジの炎が上がって来ました。とはいえレース路面は前日の雨から再オープンしたばかりでウェット路面で急減速では即後輪ロックしてしまうので、熱いのを我慢しながら徐々に減速して行く以外に方法がなく、1マイルの計測区間の出口でもまだ189マイルほど出ていました。それでも減速を続けもうこれ以上我慢すると火だるまになるなあというギリギリのところでコースを外れてバイクを寝かせながら飛び降りるという荒業で窮地を脱出しました。
幸い本人は右腕の火傷だけですみました。火災の原因は燃料フィッティングが走行中に振動で折れるという全く予想外のトラブルでした。翌年この部分は設計も素材も一新しました。
2016年のクラッシュは200マイルオーバーで突然車両が左に曲がりだし、補正するためのインプットに車両が全く応答せず横転、目撃者の話では体が高さ5、6メートル宙を舞っていたということですが、地を打ったところから覚えていないのでこのクラッシュはノーカウントです(笑)。

レースで出会った興味深い人々

デニス・マニング(BUB)をはじめ、ワーナー・ライリー、ジョン・イェイツなど70年代にハーレーワークスのストリームライナーに携わった人達や、今まで名前しか知らなかったようなレース界やパフォーマンス業界の大御所がイベントに顔を出しているのも凄いですが、同じ目線で話が出来るのを幸せに感じてしまいます。

アメリカでの日常、家族との暮らし

日常生活はいたって普通です。朝起きて娘を見送ってから出勤。メカニックの仕事は9時〜6時。帰宅後夕飯を食べた後普段は家族でリビングルームで過ごすか、レース準備期間は作業場で気が済むまで作業をしています。作業が建て込むと夜中の2時くらいまでやってます。
週末は家周り優先で掃除や買い物や車整備とか出来ることは何でもやって(やらされて(笑))います。残った時間はエギゾースト加工やレース車両の製作をしています。
また、家庭にとってもレースは毎年の恒例行事として定着していて、毎年8月末のボンネビルのレースが無いと夏が終わった気がしません。2015年に雨でイベントが中止になったときにそれを痛感しました。

ハーレーはアメリカのバイク、
だから、アメリカで学ぶ

大学生だった頃、当時バイトしていたレストランホテルはクイーンエリザベス2世号から引き抜かれたヘッドシェフがやっているようなバブリーなところだったんですが、周りを固めている日本人シェフもフランスで修行を積んだ人が大半でした。
「フランスで修行なんてすごいですね」と言うと「フランス料理なんだからフランスで勉強するのが当たり前なんじゃない」という返事が返ってきたのを覚えています。やっぱりハーレーはアメリカのバイクだから、アメリカで学ぶのが一番だろうと思ったのもこれがきっかけだったと思います。

日本のバイク、レースについて

元々古いバイクが好きだったので、ハンドメイドで造り込んだ日本のカスタムはいまだに好きです。日本ではドラッグレースが盛んになっているのはうれしい限りです。機会があれば出場してみたいですね。アメリカでは最近またフラットトラックの人気が再燃して来ているので、日本でもレースができるといいですね。

バイク、レース、メカニック、
そして、ファミリーへの想い

元々ハーレーが好きなだけでここまで来てしまったわけですが、思い返しても思考プロセスは至ってシンプルだったようです。
バイク好き→それじゃあバイクで食べて行こう→それじゃあアメリカで修行しよう→自分の能力がどれ位かレースしてみよう…。
レースを始めたころは没頭しすぎて家族に対する配慮が足りなくなって迷惑をかけてしまったことは恥ずかしながら認めざるを得ません。それまでレース活動と家族は切り離して考えていましたが、あるとき年配の元レーサーである人物から「家族を大事にしないと最終的に残るのは壊れたレースバイクだけになるよ」という言葉をいただきました。以降、家族中心のバランスに切り替え、レース活動に巻き込んで一緒に楽しむようにしました。それ以来レース活動、私生活共にスムーズにまわるようになった気がします。


ランドスピードレーシングは過去への挑戦であり、記録を破ることで新たな歴史を創るという飽くなき闘いでもあります。
Hiro Koiso Racingでは、これからも常に限界に挑戦していきます

これまでの獲得タイトルとスピードレコード

2014 AMA National record
3000 APS-PBG 211.080 mph / 339.700 km/h
3000 APS-PBF 211.032 mph / 339.623 km/h
2013 FIM World record
Div B, Typ II, Cls 13 214.653 mph / 345.451 km/h
2013 AMA National record
3000 MPS-PBF 214.342 mph / 344.950 km/h
3000 MPS-PBG 210.646 mph / 339.002 km/h
2012 AMA National record
3000 MPS-PBF 192.3915 mph / 309.624 km/h
2011 FIM World record
Div B, Typ II, Cls 13 191.507 mph / 308.200 km/h Div A, Typ II,
Cls 13 191.002 mph / 307.389 km/h
2011 AMA National record
3000 MPS-PBF 191.507 mph / 308.200 km/h
3000 MPS-PBG 188.231 mph / 302.928 km/h
3000 M-PBF 190,413 mph / 306.440 km/h
3000 M-PBG 188.509 mph / 303.375 km/h
2009 FIM World record
Div B, Typ I, Cls 13 170.839 mph / 274.939 km/h
2009 AMA National record
3000 M-PF 175.289 mph / 282.040 km/h
3000 MPS-PF 170.744 mph / 274.727 km/h
2008 FIM World record
Div A, Typ I, Cls 13 177.662 mph / 285.920 km/h
2008 AMA National record
3000 M-PG 177.577 mph / 285.721 km/h
10AMAアメリカ、7FIMワールドレコード 計17記録