interview

インタビュー

2016年のボンネビル モーターサイクル スピード トライアルズにエンジンをスープアップして1000ccクラスでエントリー。K0の限界に挑戦するべくチューニングを施し、見事に129.9マイル(約208km/h)でAMAレコードを更新した本田鉄次郎氏。エアロダイナミクスに優れたデザインではなく、1969年モデルのHONDACB750に70年代のフォルムのカウルを選ぶなど、彼らしいこだわりのスタイルでスピードを追求し続けている。13年~16年、ボンネビルにチャレンジし、何を感じ、考え、つかみ取ったのか?どこのスポンサードも受けず、ひとりで挑み続けるライダー・本田鉄次郎ならではのリアルな葛藤の記録をお届けしたい。

TETSUJIRO.HONDA

バイクとの出会い、上京
今も変わらないバイク観

よくある話ですが、地元大分で高校時代に先輩からバイクを勧められて乗り始めました。上京後は専門学校に通っていて、たまたま夏休みにバイトをしたとき、現在の仕事の師匠になる人と知り合い、その師匠のもとに2ヶ月くらい居候させてもらっていました。上京したとき初めて買ったのはRZ250。その後、ホンダVT250だったかなあ。80年代のバイクブームのとき(最終的にバイク乗り入れ禁止になりましたが)、相模湖から八王子へ抜ける大垂水峠とか、当時みんなで集まっては乗りに行ってましたね。それから師匠のもとを離れ、独立して会社を興しました。その後、大型を取ってKAWASAKIの750を買って、その後も同じ750に乗ってましたね。いま所有しているのはBMWR100、レースで使ってるCB750フォア、KAWASAKIのW3と、数台ありますが、もちろん一台一台に愛着があって。あまり乗らなくてもガレージの掃除とかしていて、それらのバイクを後ろから見てると、やっぱりかっこいいなあと。新しく買うために売らなきゃいけないということでなければ、やっぱり取っておこうとなるわけですよ。車検を通してないものもありますが、エンジンのかかる状態にして、いまは仕事場の倉庫の端っこに置いています。あとは小さなバイク、ホンダのモトコンポなどですね。モトコンポはボンネビルに持っていって、休憩時間に仲間が乗って遊んでました。塩の上を走ると楽しいんですよね。仕事場と住居が一緒なので普段乗りはそこに、他は近くに借りている仕事場兼倉庫に置いています。 なんでそんなに持ってるの?乗らないでしょ?と言われてもやっぱり買うときは「かっこいい!」と思って買っているんで、そのときの気持ちがなかなか抜けない。自分の中での「かっこいい」は何年経っても変わらないんです。だから、なかなか手放せないんです(笑)。流行り廃りはあまり気にしませんね。僕が持っているのは基本的に古いバイクが多いので。

漠然としたボンネビルへの憧れ
下見で行った初めての“聖地”

レースで使っているのは70年代のCB。あの『750ライダー』の早川光が乗ってたのと同じです。CBにこだわっているのはそれが理由ではないんですが、750Fという、その後に出たものをもともと持っていて、それはフレームからすべて作ったものでした。今でもドーバーとかのレースにも出ている同業の先輩と、当時その先輩が乗っていないCBの話になって「乗ってないなら僕に」と譲ってもらいました。それからずっと普段に乗ってました。かれこれ10年以上前かなあ。乗っててすごい調子よくて、楽しいんですよ。それをメインに乗っている頃、2011年の暮れにバイクのクラブの忘年会でボンネビルの話を聞いたんです。そこにタカさん(増井貴光)が来ていて、毎年ボンネビルに行ってる人だから「向こうだと50ccってモペッド扱いだから、おまえ、レコード出せるんじゃないの?」と。そんな軽い話をしてたら、何人かそこにいた人が食い付いてきて、話が弾んだんです。そんな話をしていて、僕はアホだから真に受けてたんですよ。年が明けてすぐにバイクを買いました。RZ50。2サイクルのほうが、記録が出やすいと思って。
『月刊オートバイ』がやっている「Webオートバイ」という企画で、富士で最高速を競う「マックスゾーン」という企画があって。それにバイクを持っていったんです。その頃の記録が確か時速117kmくらい出ないとダメだったんです。で、全然出なかったんですよ。用意できるだけの装備は全部やったのに110kmも出なかった…。そうこうするうちに日にちが過ぎていって。
ボンネビルにエントリーするためにバイクを送り出すには2ヶ月くらい前に準備がすべて終わっていないといけないという知識が全く無くて。ただ漠然と行くと決めて準備しているだけだったんです。バイクを作っている最中にもうこれは間に合いそうにないなと。そこでタカさんに電話して「今年も行くなら連れてってください」と言いました。準備が間に合わなかったとはいえ、行かずにこのまま次の年までモチベーションが一年保てる自信が無かったんで、一回現地へ行って下見しておきたいと。
そんなわけで2012年にタカさんの取材の旅に同行させてもらったんですよ。陸路を車でずっと走ってボンネビルをめざしました。距離はカリフォルニアからボンネビルまで約1400km。夜中に出発して、途中疲れて車を停められるエリアにとめて車中泊。翌朝早く起きてすぐ出発。それでも現地に着いたのが夕方近かったかな。もう遠い、遠い(笑)。近くまで来て「あの白いところがボンネビルだよ」ってタカさんが教えてくれて「うわっ、ホントに白いんだ!」って。そこから一気にテンションが上がりました(笑)。で、着いたら、もう見渡す限り真っ白。そこで、コイソさん、松園さん、そして、いま僕をサポートしてくれている田村くんと知り合って。会場には両足が無くても抱えられてエントリーしている方や、命がけで遊んでるいわゆる“とっぽい”オジサンたちもたくさん見ました。だから「危ないからやめときな」なんて空気は無いんですよ。もう危険な状態すらも楽しんでる感が漂っているんです。そんな光景を見て、もちろん50ccのクラスもありますが「こりゃ自分は50ccで出てる場合じゃないな」と。

CB750でエントリーを決心
ボンネビルへ向けて、試行錯誤の日々

僕はバイクについては普通のバイク乗りが知ってる程度の知識しかないので、パーツのチョイスはするんですが、一から組み上げてないから、実際の性能は正直わからないんです。だから、自分は「ライダー」なんですよ。ただアクセル開けてるだけの。自分でも構造がしっかりわかっていて、トラブルに見舞われても向こうでひとりだけで対処が出来るまでにならないと。このCBはすべて理解してそうなるまで数年かかりそうです(笑)。つぎのエントリーで記録を更新するには、このCBをどこまでアップさせるか?が、なかなか難しくて。前回、思い付く限りの方法をすべて投入して出たので。あと時速10km速く走れるには?と考えても思い付かない。たとえばコイソさんみたいなメカニックだとしたら、ピストンから作るとかいうところから入るかも知れない。でも自分は作れないしバイク屋でもない。だからピストンは探すしかない。このCBはアメリカでも人気なのでアフターパーツは手に入る。でも、自分のバイクのためにパーツから作るという予算も技術も無い。僕は建設内装工事屋なので、バイクの知識や経験が仕事にフィードバックされることもないんです…。
2012年に観に行って、13年にCBで出たんですが、12年に観に行って帰ってきてから、すぐに動きました。そのときメインで乗っていたCBで出ると決めて、部品取りに使えそうなCBを2台と、別にエンジンをもう1機見つけてきました。一時的にCBが3台、エンジンが4機あるという状態でした。そこからいいとこ取りで1台作ろうと。古いバイクなのでネットオークションでパーツを探しました。自分が乗っていたのはK0という古いモデルで、K7という最終形があるんですが。そのK7のピストンを埼玉のあるバイク屋さんがオークションで出していたんです。オークションはすでに終わっていたんですが、残っていそうだったんで、電話したら「あるよ」と。そのお店に直接行ったら「こんなピストン、何に使うの?」という話になって。そこの社長さんは筑波とかでレースに出ている方で、CBをカスタムするお店として有名だったんです。
ボンネビル用に圧縮の高いピストンを探していると伝えたら、750ccのままで出たいけど、高圧縮のピストンはなかなか無いと。アフターパーツのメーカーでは排気量が大きくなってしまうから、750ccのクラスで出られなくなってしまう…。いろいろ調べた結果、K7のピストンはちょっとだけ高圧縮だということなのでそれを買いに来たという話をしたら、その社長さんが「面白そうだね、手伝ってあげるよ」と相談にのってくれたんですね。CBの専門家で、レース関連の人脈も広いその方が付いてくれて心強かったですね。「じゃあバイク持ってきます」となって。フライホイルは重い方が良いからK0で、とか自分には無い知識をいっぱい取り入れてもらいました。無いパーツはアメリカから買ったり…。それで組み上げて最初のレースに臨んだんです。

速く走るためだけじゃない、
CBにこだわる自分なりの理由

8月20日頃のボンネビルに出るには7月頭までにはシッピングに出さなくてはいけなくて。何もトラブルがなければ正味2週間くらいで向こうに着くらしいんですが、出すときに抜き打ちで検査が入ると、1回の検査で4万円くらいかかる。向こうでも検査が入ったりするんで、そうなると向こうに着いても引き上げられない。それでさらに一週間とか10日間とかかかる。8月20日くらいに現地に着いてなくてはならないとしたら、やっぱり7月初旬くらいにはこっちから送り出さないといけなくなると。戻しもレースが9月頭に終わって、10月に日本の自分の手もとに着いたとします。そこから部品をバラしてまず塩を取り除く作業です。これが結構時間がかかる。戻ってきたら、すぐまた準備に取りかからないと間に合わないという感じなんです。
2015年は雨で中止になって、翌年は15年に使うはずだったエンジンをそのまま使ってはいないんです。CBを腰下まで変えるとお金がめちゃめちゃかかるんですが、腰下やらないでいける上限の排気量が836cc。15年はこれでいこうとアメリカまで運んであったんですが、中止になって送り戻してもらって。でもこのバイクには心残りがあって、この排気量はみんながやっているから、大体どれくらいのスピードが出るか想像がついていたので、自分の中でももっと誰もやっていない排気量まで上げたいなと。
壊れないように作るというのが通常のメカニックの考えです。僕みたいな考えではすぐにそのバイクは壊れてしまう。普通のレースと違ってボンネビルではずっと全開走行で、しかも何分間もその状態が続く。それも往復。まずは壊れないエンジンをということで、15年は自分としてはちょっと妥協した感じでいたんです。で、中止となった。そして16年。もう一回作り直したいと思ってもう1機ベースエンジンを持ち込んで、規定上限ギリギリの997ccまで上げてエンジンを作り、海外からパーツを取り寄せて組み上げたんです。つまり15年エントリーしなかったエンジンともう一回作ったエンジン。で、その2台をダイナマシンに乗せてそれぞれパワーを測ったら、997ccの方が10馬力くらい多く出ていた。そのエンジンを積み直して、16年はエントリーしたんです。そのとき、ギリギリまで走って戻ってきたらバルブが曲がっていて、これは壊れない限界まで走れたんだなと。なので、このバイクで燃料的なチューニング、過給器とかを除けば、もう行けるところまで行ってしまったなと自分の中で思いました。また、同じCB750でもこの後、DOHCツインカムのエンジンのバイクが出るんですが、そのバイクが前回エントリーできてたんですよ(笑)。そうなるともう同じチューニングを施したとして、ツインカムの方がパワーも出るので、劇的な何かを変えないとこれ以上のスピードの上乗せは無理かなとわかってしまったんです。なので、いまずっと打開策を考えているワケです。単純に速く走りたいだけなら、今持っているBMWでいいんですが。

ボンネビルで、CBで、
自分らしく走るために試したこと

最終的にはCB750でもっと速く走りたいんですね。葛藤というほど大袈裟なものじゃないんですが、15年、16年のはもう普段乗れないバイクになってしまってるんですよ。13年、14年は保安部品を付ければそのまますぐ乗れるようなバイクでレコードが出たんです。15年になると、風を考えてカウルを付けてハンドルが少ししか曲がらなくなっていて、ライトも付いてないし。段々と普段乗りできないものになってきた。スピードを求めてそうなったんですけどね。そこまでやるなら、今回は70年代風のカウルにして…、なんて思ったけどそんなノスタルジックなことをしても実際には風を切るために計算されたものを付けるべきだし…。いろいろ中途半端な感じだなと。
16年はその臨界点に来たので、自分の思う理想のCB750のスタイルと速く走るためだけのスタイルのバランスを崩して臨まなければならないと。速くないと意味がないとも思っているんですがね…。コイソさんもダイナのあのバイクでないとという思いがあると思うんですよね。
あと意外かも知れませんが、ボンネビルってスピードが出ないんです。今はもう昔と違って200km/hって普通の道では割と簡単に出せるスピードですよね。現地で走っていてメーターを見ると230を振れているんで速く走っているのは自分でも体感でわかるんですが、1.6kmの平均なので、走りきって実測で見てみると全然出ていないんです。え、200km/hちょっとしか出ていない?!となるんです。16年は一番速く走って131マイル、210km/hしか出ていない。メーターの針は240近くまでいってるのに実測では210km/hかと。数字でしか表せないですから。帰国後、友だちにいくら出たのって聞かれて「200ちょっと」と言うと、反応が微妙で(笑)。ギリギリまで攻めてる感じなのに数字はたいしたもんじゃない(笑)。体感としては、正直、270、280っていうのは自分でも体験したことのないスピードではないので。
最初の13年は安定的に走れることをめざして、前後の足も全部変えていったんです。フロントホークもスイングアームも全部。びっちり17インチに変えて。でもそれってレギュレーション違反だった(笑)。これじゃおまえのエントリーしたいクラスには出られないよと。で、現行車のクラスに振り返られてしまった。なので、記録はぜんぜんでした(笑)。
いま、足回りはノーマル。前19、後ろ18インチ。ストックの状態のバイクじゃないと出られないクラスなので。だから最初の年、走りが安定しているから一番恐くなかった。バイクとしては完成されていた感じ。なるべく(姿勢を)下げたかったんでフロントホークも出して。でもやっぱりノーマルなので腰高なんです。スイングアームも長めにして車高もなるべく低く。理にかなっているけど、エントリーできるクラスが変わってしまうと。なので、いまではフォルム的にはノーマルでと。

「ライダー」として、
これまでのレースを振り返って

13年、14年、16年出場して、15年はエントリーしたけど雨で中止と。その中でも印象的なのは最初の年かなあ。最初の1本目は緊張もしたし、ボンネビルを走っているんだという感動もあった。見えているのは真っ白な世界。待っている時間はとにかく長い。16年は回転が速くてたくさん走れたんですが、大体一日に2本走れたらいい方で。風が出るとクローズだし。最初はドキドキだけど、待っている時間が長すぎて「早く走らせろ」となってきて、やっと走れた!という思い出があります。恐かったのは16年。走っている途中でカウルが割れたんです。バリッと破れて外れて、こけるか?と思ったんですが、計測区間だったのですぐには止まれず、走り切って止まるまでの距離も結構あったんですが、カウルは外れてるし引っ掛かんなきゃいいなと思いながら…。コースアウトすると次の人が出てくると困るんで、コース上に止まってオフィシャルが来るまで手を挙げて待っていました。止まったとき膝がガクガク震えて止まらなかったですね。一番テンションが上がったのはやっぱり16年、リターンで131マイル出たときです。カウルが割れる前なんで(笑)、戻ったら130出てたよとと教えてもらって。テンション上がりましたね。前年のレコードが125くらいだったので。10km/hも速く走れたと。
さすがにガッツポーズでしたね(笑)。行きをダウン、戻りをリターンといいます。ダウンの時、向かい風だったんです。だからいくら頑張っても128しか出なかった。で、今度追い風のリターンで131とか出て。でもダウンでリターンの記録以上が出ない。セッティングをいろいろ変えてもダメでした。

ここまで来てビビっているようじゃ
最初からやらない方がいい

誰かの影響を受けてるかと言われれば、僕はあまり受けていないかも。みんなの本気度ってあるじゃないですか。商売でやってる人もいるし。でもアメリカまでバイクを運んで乗ろうなんて思ってなかった。そういう意味ではいろんな人の影響受けまくりなんでしょうね(笑)。バイクの関わり方という意味では基本的にやっぱり僕はバイク乗りであって、メカニックではないと。目線も違うし。でもホンダの横置きのは…と考えたのはたぶん影響を受けていたからだと思うんです。
16年はいろいろあって。なぜかヒューズがずっと切れたり、エンジンがかからなくなったりしたんです。どこに原因があるのかさっぱりわからないし、時間がもったいないんで、わからないから関係の無さそうな部分をババッと切っちゃったんです。とりあえずエンジンだけがかかる状態にしてそれで走り続けたんですけど。そのあたりも自分がメカニックとしての知識が無いので「ここマズイな」とかわからないので、普通に乗っていられるのかも知れないし。あの場所に行くまでの手間とお金のことを考えたら、こんなとこまで来てビビっているくらいなら、乗らない方がいいって思って行くので。たとえば高速道路で「ヤバイ」と思ったらアクセルを戻せばいい。で、戻ったら、また開ければいい。でもこの場所の場合はちょっとアクセルを戻したらすぐタイムになって出てきてしまう。戻すぐらいだったら行かなきゃいい。自分のタイミングでアクセルを戻せないのが恐いということです。縛られている感じはあるんですよ。最高速まで行ってるなと思っているところで風が吹いても車体が揺れても、今戻すともったいない!と。
基本的に資金のスポンサードは無くて、全部自分でやっているので、逆に自分のタイミングでやめるし、自分が喜びたいからやっているだけです。自分で組み立てたエンジンで思惑通りに走れたら、今よりスピードが遅かったとしても感動するんじゃないかなと思いますね。やってみないとわからないけど。人が組み立てたエンジンにアクセルをあけて走るだけだと、度胸試しみたいなものじゃないですか。16年にレコードが獲れたということは、このバイクでここまで出たというのが嬉しかったんで。理想は自分で組み立てることかも。これまでバイクをバラしたこともない人間が急にこの4気筒のエンジンをバラしてあのレースに持っていけるようなクオリティで組み上げられるとはとても思えないんですけどね。

遊んでる感が伝わるのが嫌だから、
レースのことは知らせません(笑)

詳しいことは話していないので家族はほとんど知らないですね。「今年も行くの?」と聞かれても、暗黙の了解になっているから「いついつから居ないから」と、それくらい。旅に出て荷物が増えるのが嫌なので、お土産とかあまり買ってないんですよ。ふらっと行って3週間くらい経って、またふらっと帰ってくる。日に焼けてるだけ(笑)。タイトルを獲ったときは一応「獲れた」と伝えますが。ブログやSNSなど、まったくやらないので、自分から発信することもしないし。だから、僕が何をやっているか知らない人も多い。一応行くときは友だちにはメールで「頑張ってきます」、帰ってきたら「帰ってきました。ありがとうございました」とは伝えますが。いろいろなメディアに取り上げてもらっても、そのことをほぼ誰にも言わないので、当たり前ですけど、職場の若い子たちもあまり知らないですね。どうしても遊んでる感じが出るじゃないですか、やっぱり仕事じゃないんで。出てる間、どうしても職場にも迷惑をかけてしまうので。もちろん向こうに行ってレースのあった夜でも、仕事の見積りとかやったりしてますけどね(笑)。ある程度、現地でもできる仕事はやるようにしてます。

向こうで出会って、話して、
感じたこと、そして、考えたこと

向こうへ行くといちいち感動してしまいますよね。英語がちゃんと喋れなかったりすると、受付ひとつ自分の言葉が通じてやり取りが出来ると嬉しいし。自分でレンタカーを借りてピックアップ場所に行ってバイクを積んで…。でも一年に一回、向こうでの運転で、複雑で難しいカリフォルニアの道路をやっとの思いでやり過ごして、十数時間まっすぐ走る。あの山を越えたらやっと、と思っているともうひと山ある。道中が本当に長いので、それを何回か繰り返してボンネビルのあるウェストウェンドーバーの丘に近づいてきたらテンションが上がりますね。先ほども言いましたが、アメリカではCBに乗ってる人が多くて、現地でも人気があるので、よく声をかけられます。ピットでいじってると、乗ってるよとか、以前乗ってたよとか言いながら、話しかけてきますね。最初の年に声をかけてくれたおじさんが「おれも来年CB持ってくるよ。おまえ来年も来るか」と。「来年も来るよ」と話したら、次の年、本当にCBでエントリーしてきたんですよ。同じクラスでしたが、自分の方が速かったんです。16年だったかな。朝、初日にゲートで並んでたら、向こうが気付いて話しかけてきて自分は今年フェアリングを付けてたんで「おまえフェアリング付けてきたのか」と大笑いしたり。
レコードを出したらバイクをバラさなきゃいけないんですけど、CBは作りが細かいのでバラすのも大変なんです。自分は工具もあまり多く持って行ってないんで時間がかかって。そこにCBに詳しいおじさんが来て、こことここを外すと早く出来るよと教えてくれて、工具も貸してくれたり。あそこに来ている人たちはプライベーターでも乗ってるだけの人はまず居ないんですよ。自分はここに来てアクセルを開けてるだけだなあと、16年は特に思いました。今はもう10km/h上げる要素が思い付かないので、笑気ガスを直接吹いて燃焼効率を一気に上げるっていう映画とかで出てくるニトロのような。でもそれって自分的には最後の手段かなと。
連れていってもらった最初の年、KAWASAKI1400を持ってて、同じの乗ってるよというオーストラリアの人と話していて、ギヤ比しかいじっていないって言ってたんですよ。その年、満足のいく記録が出なくて、次の年、彼、ターボ付けてきてました(笑)。みんな思いは一緒で、自分の惚れたこのバイクで行こうとなったら、それでどこまで出るか?はおのずとわかってくる。CBをやめるとなると設定する目標もまったく変わってくるんで。もっと感動をするにはライダーだけでなく、バイク作りにちゃんと携わってもし向こうでトラブルがあっても自分ですべて対処できるだけの技術をもって臨めるようにならなければと思います。キャブレターが云々くらいでなく、バルブがどうも…ってなったときにここの部分だったら替えのパーツがあるからすぐ変えられるっていうところまで自分がわかっていればもっと違うと思うんですけどね。

今は原点回帰の時期
メカニック兼ライダーへの思い

先ほども言いましたが、前の年750で出たやつを1000ccにして、ダイナマシンに乗せたとき、後軸で90馬力出ていたんですよ。あの年式のバイクで後軸でってことはロスもあるんで、エンジン単体なら100近くでていたはず。あのときは結構テンション上がりました。こりゃ行けるぞって。前の年よりももっと行けるっていう確信を持って行きたいですよね。自分にとってボンネビルはあまりに遠いし、お金も掛かるので。休日に「ちょっと行ってくら」って感じで出てはくるんですが、本当はそうじゃないんで(笑)。自分で組んだり、バラしたりできるバイクで一回行こうかなと。それで自分がどれくらい喜べるか?それを感じてみたい。それで、もしまたタイトルとか獲れたら、すごく嬉しいかも知れませんね。いややっぱりここはスピードを出す場所なので、これじゃつまらないやってなるかも。ある意味、原点に戻る時期なのかも知れませんね。最初の年は手っ取り早く、走りに行った。年々、いろいろ知ってくると欲が出てくる。知ったがためのというか。
僕のようにまったく個人で行く人は日本人では居ないと思います。バイクをいじれる人に言わせると、人のいじくったバイクで壊れるかもわからないのに、アクセルをずっと開けてるなんてと言われますね。逆に恐いらしいですね。だって自分でやってないからどこら辺が弱いのか?もわからないわけじゃないですか。そんなことおっかなくてできないよと。そう言われりゃそうだねと(笑)。僕は知らないからこそ出来ているかも。右側が轍が少ないと聞いて走ったとき、地面が真っ白じゃないですか。しかも極端な前傾姿勢。横に立ってる旗をチラ見しながら、ゴールの計測区間の終わりを知らせる旗を通り過ぎたときに見たら、自分は1.6kmを右から左へ斜めに走っていたんですよ。距離のロスにもつながるし、やっぱり真ん中を走ろうと(笑)。轍を連続で踏んでしまうと、カタカタと不安定になってくる。足回りがノーマルなので、ヘタにアクセルを戻すと揺れが激しくなってくるんです。普段から使う方法ですが、アクセルを開けたままで後ろブレーキをかけると揺れが収まってくる。この前はカウルが付いていて余計に揺れたので、これも走りながら途中で気付いたんですが、首をちょっとだけ右側に傾けてると揺れが止まりました。たぶんカウルのスクリーンがまっすぐ付いてなかったんだと思うんですが(笑)、自分のヘルメットを少しだけ右へ傾けると止まることを発見したんで、2、3本目からはちょっと右に傾けて走っていました。こういうことはもう何十年とバイクに乗ってきて、途中で修正しながら走るという感覚があるから自然にやってることです。なるべくコケたくないので(笑)。

ボンネビルは、僕にとって、
ただひたすら「楽しいところ」

ボンネビルをひとことで言うと?なんですかね…。コイソさんには怒られるかも知れないけど、自分には楽しくて仕方がない場所ですね。コイソさんのようにあんなにケガをされたり、バイクが燃えたりしてますが、僕とは設定しているスピードもマシンも全く違うので、一本一本が命懸けですよね。誰も経験したことのないスピードで走っているので同じような感覚ではないとは思うんです。僕の場合は決して自分で経験していないスピードではないんですが、ただバイクが古くてチープな車体だということ。僕にとってボンネビルはすべてが楽しいんです。スケールの大きい風景、コケれば死んでしまうかも知れない命懸けの遊びを本気でやってる、自分なんかよりずっと年上のオジサンたち…。僕は“偉大な草レース”だと思っています。
14年に知り合って再開を誓ったアメリカ人の方がいたんですが、そのとき僕は121マイル出していて、その人に記録を聞いたら「ワンサーティ」って聞こえたんですよ。本当は「ワンサーティー」だったんですが、ヒアリングが出来なくて「うわっ、記録を塗り替えられたな」と思っていて、その後、何本か走って記録を見に行ったら「ワンサーティン」だったのでホッとしたり。翌年、その人は改良を加えて目標を持ってやって来て、勝った負けたじゃなくてお互いに健闘をたたえ合う。そんなやり取りも含めてとにかく楽しい場所なんです。欧米のかっこいいオジサンたちの中にこんなニッポンのオッチャンも混ざって。自分もそんなオジサンたちのひとりになれていればいいなあと。最初ボンネビルに来て、50ccでのエントリーをやめてCBで来ようと思った理由は、かっこいいオジサンたちの姿を見たからです。毎年エントリーしている、80を過ぎてるかなという感じのヤマハの250ccに乗っている老夫婦がいるんです。おばあちゃんは自分でエンジンもかけられないしバイクも足が届かない。そこでおじいちゃんが用意した木箱に乗ってバイクにまたがり、おじいちゃんがエンジンをかけてあげてスタートしていく。おじいちゃんは心配そうに見ているんですが、おばあちゃんは自分の記録を塗り替えてタイトルホルダーになったんですよ。そんなふたりの姿を見ていて、ただ、かっこいいなと。文化の差と言ってしまえばそれまでなんですけど、アメリカでもあの歳でバイクに乗る女性を見て、やめろと言う人はいるはずです。つまりあのふたりがとっぽいだけで、文化の差と言うよりもあのふたりが特別なだけなんじゃないかと。自分よりずっと年上の方たちがレースに出て、おまけであるはずのレコードまでも塗り替えていくから、もっとかっこいいんですよ。ぜんぶがかっこよくて、ぜんぶが楽しいところなんです。
もうひとつボンネビルで印象的なのは、フルスピードで走りきって計測区間を過ぎた後の安堵感かな。ジーンとするんですよ。毛穴が開くような。それなりに自分では出したことのあるスピードだからとは思っているんですが、さっき話したように自分のタイミングでアクセルを戻せない、いや、戻さないんで。そこからゆっくりピット近くに帰ってきて、少しずつ安心感が増えていく。もう一本走るとなると、またドキドキしてきて。旗が振られるのを待って…。スタートするともう無我夢中に走って、計測板を越えるとまたジーンと毛穴が開くような感覚になる。あれは気持ちいいんだか、なんなんだか(笑)。あれは走ってみないとわからない感じかなあ。緊張と緩和というか、独特な気持ち良さですね(笑)。

「誰かのきっかけになれば」
『bonneville』への期待と楽しみ

タカさんは僕にきっかけを与えてくれた人。今から写真集、楽しみにしています。本の中にはさっき言ったような、かっこいいおじいちゃんおばあちゃんの写真があるんじゃないかなあと勝手に思っています。そういう人たちを見て、行ってみたい!と感じる人も出てくるといいなと思います。写真集がそうやって人に「きっかけ」を与えてくれるものになればいいなと。自分は「これやってます」と積極的に発信しない方なので、自分をきっかけにして誰かがボンネビルに行くと言うことは無いと思うんですよ。周りにも言ってないし。タカさんのようにいろんな所に種をまける人がいるから、誰かがそれを見て行動する。『世界最速のインディアン』も観ましたが、それを観たから行こうと思ったワケじゃなく、当時はただ「すごい人がいるなあ」と思っただけで。よし行こうと思わせてくれたのはやっぱりタカさんなんです。もし自分のバイクの準備が間に合わなくても、誰かのサポートで行くかも知れません(笑)。それでもいいかなと思えるくらい楽しいんです。自分がエントリーすると写真が撮れないでしょ。だから走った年は写真が無いんです。ドカのL型を2コつなげているようなのとか、あそこでしか見られない冗談みたいなバイクがたくさんあるんです。写真撮ったりするだけでもすごく楽しいと思いますね。

TETSUJIRO.HONDA / 本田鉄次郎
1967年生まれ。
大分県出身世田谷区在住。店舗内装・営繕工事を請負う会社を営み、今年で20周年。
「周囲に遊んでいることを悟られないようにこっそりレースの準備をしています」。